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【宮城】江戸時代から今につながる暮らしに触れる「今野家住宅」

宮城県多賀城市には、これまでの歴史を語り継ぐ場所、東北歴史資料館。
これまで長い間、旧石器時代からの人類の歴史を、地域の人々に伝え続けてきました。

東北歴史資料館の中には、江戸時代から建っている建物があります。
それが今回、ご紹介する「今野家住宅」です。

本記事では、公共交通でも国府多賀城駅から徒歩2分でアクセス可能な「今野家住宅」で見られるものを、お伝えしていきます。

目次

今野家住宅」とは

「今野家住宅」は、過去には、宮城県石巻市北上町橋浦に建っていた住宅です。現在多賀城市に位置している住宅は、移築し、建築当時の姿に復元したものです。今野家は江戸時代桃生郡(ものうぐん)橋浦村の責任者であった肝入(きもいり)を、代々勤めてきた家系でした。

住人の生活の中心であった母屋(ほんや)と馬屋としても使われていた中門(ちゅうもん)が、宮城県の有形文化財に指定されています。

生活を営む場、母屋

住んでいた人々の生活の中心であった母屋は、1769(明和6)年に建てられた建物で、屋敷の中で最も古い建物です。
母屋は、神棚を祀った部屋のオカミや江戸時代に投手が肝入の仕事をしたナカマ、接客に使ったチカザシキなどから構成されています。中には囲炉裏もあり、思い描くような昔の暮らしを見ることができます。

また、内部には説明をしてくださるスタッフの方も。家の使い方など、気になることがありましたら、ぜひ聞いてみてください。親切に細かく、当時の暮らしについて教えてくださいます。

もうひとつの有形文化財、中門

母屋の正面に立つ建物「中門」は、江戸時代終わりから明治時代初め頃に建てられました。母屋から見て左側は馬屋、右側は物置として使われていました。鍬や草履、雪ぐつなどのほか、稲の穂先から籾(もみ)を落とす脱穀に使う道具である、「千歯扱き(せんばこき)」といった民具を見ることもできます。

まとめ

今回は、多賀城市にある「今野家住宅」を紹介してきました。

実際に江戸時代に生活がされていた住宅を見ることができる場所は、数少ないのではないでしょうか。

今回ご紹介したものを自身の目でみることはもちろん、ご紹介しきれなかったものを体感してみてください。

東北歴史資料館の展示と合わせて、これまでの歴史を学ぶと、より理解が進むと思います。

カフェなどもありますので、途中休憩を挟みつつ、ぜひ歴史を学びに来てみてください。

今野家住宅 詳細情報

住所:〒985-0862 宮城県多賀城市高崎1-22-1

電話番号:022-368-0106

駐車場:有

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